〈石巻文化センター〉
電気もまだ復旧せず、ファイルや文書の多くが湿った状態にある
宮城資料ネットの佐藤大介氏の案内の元、当方へ連携を呼びかけられた渡辺浩一教授(国文学研究資料館)とともに、宮城県の石巻文化センターを訪問しました。
海浜にある石巻文化センターは、特に建物の一階が壊滅的な被害を受け、書籍、公文書、現用文書等の大半が、海水、泥、そして近くの製紙工場からのパルプを被りました。このうち文化財発掘調査の報告書等の一部は、カビの発生を抑えるため凍結処理を行いましたが、残りは、一部の資料に自然乾燥が施されていたものの、大半が湿り気がまだある状態でプラスチック・コンテナや段ボールに入れられ、風通しの良くない部屋に置かれていました。電気も水道も、まだ当分、復旧する見通しがないとのことでした。
担当の石巻市教育員会学芸員の方は「これから夏に向かってカビ被害が拡大していく恐れがある。公文書類はこちらの目が直接には届かない他の場所に移しての処置が困難である。また、凍結乾燥したものはカビの被害は免れたが、泥汚れや塩分はそのままであり、利用できる状態にするのはこれからの仕事」と現状を説明されました。
これに対して私たちは、現在同センターが進めているカビ被害の拡大を防ぐための、風通しの良いところに資料を移す作業を継続し、可能な限り乾燥することを前提として、東文救の非被災文書復旧システムの導入を提案しました。東文救システムは対象資料を一枚もの(ペラ)に解体することが処置の条件になりますが、完全に乾燥しなくとも、紙がめくれる状態であれば適用可能であること、作業自体は難しいものではなく、専門的な訓練を受けない方々でも半日ほどのスキル・トレーニングを受けてもらえれば作業に着手できること、大半の資材が再利用可能であること等を、処置行程の動画を示しながら、説明しました。
学芸員の方は東文救活動の方針、内容を良く理解され、システム導入が資料の復旧に優れて有効と判断されました。「何よりも、他所に移動して手当てを施すのが難しい被災公文書の復旧を自分たちの手で行えるのが有り難い」とし、宮城資料ネット、渡辺教授等の協力の下、実現に向けて早急に取り組むことになりました。今後センターは、作業場所、作業員の確保等の見通しをつける一方、東文救は、復旧システムに必要な資材の調達等を図っていきます。稼働は8月の予定です。
〈宮城歴史資料保全ネットワーク〉
民間資料の救助を積極的に行う
宮城資料ネットは長年、宮城県内の災害により被害に生じた民間資料の救出と復旧を精力的に行っています。今般の災害においても、救出された資料がセンターに持ち込まれ、風乾やクリーニング等が行われています。ただ、救出される資料は増え続ける一方で、保管場所も手狭になりつつあり、また保全処置が追いつかないのが現状と見えました。
ここでも東文救は、石巻文化センターで行ったのと同じプレゼンテーションを行い、それが簡便、効率的、仕上がりの良いシステムと理解していただきました。宮城資料ネットは被災資料救出と保全作業に経験が豊富で、一通りの資材、要員、インフラも揃っています。ここでは東文救システムの導入は頗る容易と思えました。
東文救は同ネットに対して、現地調達が難しいシステム稼働資材を提供するとともに、システムの設営とスキル・トレーニングを7月15日に行うことになりました。
〈大船渡総合福祉センター〉
廊下いっぱいに並べられた写真やアルバムと金野さん
安江、木部、久利の3名が、一関駅から車で約2時間かけて大船渡市に向かいました。鉄道は不通状態が続いており、復旧の見通しがついていません。
大船渡も漁港等のある海辺よりの地域は壊滅状態。だが、幸いにも市の行政機関のほとんどが高台にあり、今回訪れた大船渡市総合福祉センターは、建物もインフラも無事でした。
ここでは金野聡子さんを中心に、民間の被災写真の復旧を行っていることで知られています。金野さんはコンサーバター養成機関である英国Camberwell College of Artsでアート・オン・ペーパーのコンサベーションを学び、地元の大船渡市で紙本・書籍保存修復の仕事をしておられます。
金野さんは「歴史資料としての古文書や、行政文書が大切なものであることは十分に理解している。しかし、この地で暮らしを営み、今回被災した民間の人たちにとって、家族や友達や、いろいろな行事を記録した写真やアルバムは特別な意味がある。家族や家を失われた方の中には、この一枚の写真しか家族を思い出す術がないという人もいる。そういう方々のために、なんとか記憶に残る記録として写真やアルバムを残したいと、ここでの作業を決意した」と語られました。
金野さんの熱意と努力が実り、市が場所とボランティアを確保。活動開始から3か月後の現在7名の臨時職員と共に写真を中心に復旧作業を進めています。
ここでの救助対象資料は主に写真ですが、このほかに肖像画や賞状、そして民間文書も持ち込まれるようになっています。また、大船渡市内全域から被災したものが持ち込まれるようになり、5台ある冷凍庫はすでに満杯、福祉センターの廊下にもアルバム等が並べられ風乾されていました。
ここが写真資料救助のセンターのようになったのには、金野さんだけでなく、金野さんと英国で同学の紙本・写真修復士白岩洋子さん(東京在住)の強力な支援が得られたことも理由です。白岩さんは地元の方ではありませんが、金野さんに寄り添う形で、現在も同地へしばしば足を運ばれ、一枚でも多くの写真を救いたいとボランティア活動を続けています。(白岩さんの「水害にあった写真の救出方法」を東文救ホームページに掲載させていただきました)。
金野さんには東文救システムを高く評価していただきました。「写真だけでなく、これから多く持ち込まれる文書類にも適用したい。」コンサーバターの仕事をされている金野さんには当方システムの詳細な説明は不要。早急に導入を実現したいと双方で合意しました。7月14日の導入が決まり、現在、準備中です。
〈遠野文化研究センター〉
職員の方々により乾燥・整理された資料。東文救システムを動画で紹介する
遠野市は柳田国男の『遠野物語』に描かれているような、この地の人々の暮らしの中で受け継がれてきた豊かな文化資源があります。遠野文化研究センター(所長:赤坂憲雄学習院大学教授)は今年4月に、これらの文化資源の調査研究と活用のため、遠野市立図書館内に設置されました。
今回の大地震と津波による被害を直接受けていませんが、三陸文化復興プロジェクトを開始し、被災した公立図書館や学校図書館を支援するため、献本を募り、被災した機関へと贈る活動をしています。また、被災資料の受入れ・処置も積極的に行っており、現在、大槌町立図書館の文書類、新聞スクラップ、郷土資料(図書)を預かり、乾燥等の復旧作業に取り組んでいます。職員が真空パック吸水法による水切り作業等で対応していますが、まだ湿っている資料が多く、一部には泥汚れ、カビ等の被害が顕著の資料もあります。
こうした資料への東文救システムの適用を小笠原同センター事務局長ほかの職員の方々に説明し、プレゼンテーションを行いました。その結果、明治・大正の公文書、次に新聞スクラップへの復旧に当方システムを適用することになりました。システム導入は7月下旬目途としています。要員についてはセンター職員とボランティアで常時3名は確保できるとのことです。遠野文化センターは既に資料乾燥等を実施している所であり、職員は作業に通暁されています。東文救システムの導入は容易と思われます。